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奉仕茶会について

会長のひとこと

 

( (たん)(せつ)(まい)(せい)   

  千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕茶会
会長 市野昭一

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、毎年春と秋に戦没者の慰霊を目的とした奉仕茶会が催されており、私はその奉仕茶会の会長及び実行委員長を務めさせていただいております。

 私がこの奉仕活動を始めてから二十余年になりますが、当初この茶会の創始の先生からお茶会があるので手伝ってほしいとの要請があり、お手伝いに伺ったのがきっかけでした。奉仕茶会が催される時は墓苑には多数の和服姿の女性客が溢れ、いつもと違った華やいだ雰囲気になります。私は会場の設営、片付けが主な仕事でしたが、茶会の最中は受付に座って来客対応をしておりました。

 そのような中、二度目にお手伝いに伺った年のことでした。参拝を終えられた高齢のご婦人が受付に立ち寄られ、こうおっしゃったのです。「今日は本当に有り難うございます。いい供養をさせて頂きました。」と。この時私は愕然としました。恥ずかしながら、私は何しにここに来ているのだろうかということをその時始めて認識したのです。その時を契機に、私は体の動くうちはこれを一生の仕事として行こうと心に決めたのです。

 その後、平成十年から墓苑の財団法人千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会より要請を受けて堀内家()行分(ほりのうちけ ぎょうぶん)()千葉()宗立((そうりゅう))宗匠のご奉仕による献茶式が執り行なわれるようになりました。これを契機に茶会の来場者が激増し、従来の運営方法では不行き届きなところが目に付くようになり、平成十二年に千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕茶会実行委員会なる組織を立ち上げ、茶会運営を組織対応するようにし、個人や席主様に負担の掛からないよう、また次代の人を育てるという事もして参りました。お茶会には三百名から四百名のお客様がお見えになります。その方達全てが戦没者の慰霊のために茶会に参加されている訳ではありませんが、私はそれでも構わないと思っています。お茶会を通じて無名戦士の墓苑がここに有るということを知っていただければ、お茶会の目的は大半達成されたようなものですから。

 近年発行された「奇をてらわず」という本の中で、墓苑の創設者とも言うべき美山()要蔵()氏が同じ事を述べているという事を知りました。

 創始の先生から引き継いでこの奉仕活動に携わって参りましたが、時には若輩者のやり方に厳しいご意見も頂いたりしたことも御座いました。しかし、物事を長く続けていく為には、信念を持って、協調と無欲な継続を積み重ねることが重要なのであります。信念の無い一時の意地やこだわりだけでは気が尽きてしまい、長年に亘る継続は不可能なのであります。お陰さまで何時の間にやら三百名近くの会員の皆様のお名前も覚えられましたし、中に親しくお茶事にお呼びするといった友人も多数生まれて参りました。これは無欲の継続からの贈り物で、今では私の宝物です。望んだ訳ではありませんが、いつのまにやらこうなっていたのです。「継続は力なり」とはよく言われる言葉ですが、私はあえて「継続は宝なり」と言いたいのであります。

 終わりの無い道程ですが、こつこつと擔雪埋()()でまいります。

*擔雪埋井 : 雪を擔(にな)って井(せい)を埋(うず)む
 華厳経の中に出てくる徳雲(とくうん)比丘(びく)という高僧が、「自業を自得する」ことで悟りを極められた後、そこに留まらず、迷いの娑婆世界に戻り来たって、古井戸に人が落ちてはいけないと、毎日山を降りて雪を擔ってその井戸を埋めようと精を出された逸話である。雪は井戸に投げ込み、水に触れた途端に融けてしまう。どんなに努力しても詮無い無駄骨折り、水泡に帰すの譬えの如くであるが、達成できないかもしれないがその目標に向って一歩でも近づく努力をする、これが「擔雪埋井(たんせつまいせい)」の意味するところである。

 

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